日商岩井は考えた揚げ句、当時の額で約2,000万円を亜東社に援助した。亜東社は、新日鉄向けの鋼材や宇部興産向けの肥料などを中国当局の配慮で一手に引き受け、「約3年間で全額返済できた」という。大倉によると、小さな商社がなぜこんな力を持っているのか、業界では首をかしげていた。 調べてみると、亜東社は日中国交正常化が実現するその直前である1971年に、同じく友好商社の河村金属、大武貿易と合併して「三友通商」を結成した。しかしそれも後に廃業している。 廃業した際、亜東社が持っていた書籍部門を引き継いだのが、現在も存在する「亜東書店」である。
日商岩井は考えた揚げ句、当時の額で約2,000万円を亜東社に援助した。亜東社は、新日鉄向けの鋼材や宇部興産向けの肥料などを中国当局の配慮で一手に引き受け、「約3年間で全額返済できた」という。大倉によると、小さな商社がなぜこんな力を持っているのか、業界では首をかしげていた。 調べてみると、亜東社は日中国交正常化が実現するその直前である1971年に、同じく友好商社の河村金属、大武貿易と合併して「三友通商」を結成した。しかしそれも後に廃業している。 廃業した際、亜東社が持っていた書籍部門を引き継いだのが、現在も存在する「亜東書店」である。
1年前に投稿されました