呉濁流は1900年、台湾・新竹の客家の家庭に生まれた。両親は忙しく、かわいがってくれた祖父から領台当初における抗日の話を聞きながら育つ。台北師範学校を卒業、公学校の教員として教壇に立つが、もともと一本気な性格、いばりちらす日本人とあちこちで衝突して左遷が繰り返され、二十年勤め上げたあげくに辞めてしまう。すでに戦争が始まっていた。知人のつてで大陸に渡り、汪兆銘政権下の南京で新聞記者となる。ようやくやって来た憧れの祖国であるが、言葉が通じない。その上、大陸では台湾人は日本人のスパイと疑われるため出身地は隠せと忠告され、他方で日本人からも信用されないという難しい立場であった。東亜同文書院出身で日本、汪政権、重慶政権それぞれと連絡を持ち、それがばれて日本の憲兵によって殺害された彭盛木とも会っている。
呉濁流は1900年、台湾・新竹の客家の家庭に生まれた。両親は忙しく、かわいがってくれた祖父から領台当初における抗日の話を聞きながら育つ。台北師範学校を卒業、公学校の教員として教壇に立つが、もともと一本気な性格、いばりちらす日本人とあちこちで衝突して左遷が繰り返され、二十年勤め上げたあげくに辞めてしまう。すでに戦争が始まっていた。知人のつてで大陸に渡り、汪兆銘政権下の南京で新聞記者となる。ようやくやって来た憧れの祖国であるが、言葉が通じない。その上、大陸では台湾人は日本人のスパイと疑われるため出身地は隠せと忠告され、他方で日本人からも信用されないという難しい立場であった。東亜同文書院出身で日本、汪政権、重慶政権それぞれと連絡を持ち、それがばれて日本の憲兵によって殺害された彭盛木とも会っている。
1年前に投稿されました