以前のブログにも書きましたが、当社のルーツは1916年(大正5年)中国・天津の地で創業した『三昌洋行』に遡ります。当時、上海に『東亜同文書院』という日本人のための高等教育機関があり、儒教的な道徳教育理念に基づいて中国語会話や商業実務を教えていました(1945年の敗戦と共に閉鎖)。その学校の卒業生3名が、「三人それぞれに繁昌して、いつか一つの大きな会社にしよう」という思いを込めて、それぞれが天津・上海・漢口(現在の武漢)に『三昌洋行』を設立しました。残念ながら上海と漢口の三昌洋行はほどなく閉鎖に追い込まれてしまいましたが、天津の三昌洋行は中国産品(主に雑穀類と綿花)の日本向け輸出や住友製品の華北地区での販売で大いに売上を伸ばし、当時の天津では「三井、三菱、三昌、大倉」と並び称されていたそうです。その三昌洋行のNo.2であった高橋眞美(私の祖父)が暖簾分けをしてもらい、日本の大阪で1941年(昭和16年)に設立した『三昌産業』が当社の直接のルーツになります。
以前のブログにも書きましたが、当社のルーツは1916年(大正5年)中国・天津の地で創業した『三昌洋行』に遡ります。当時、上海に『東亜同文書院』という日本人のための高等教育機関があり、儒教的な道徳教育理念に基づいて中国語会話や商業実務を教えていました(1945年の敗戦と共に閉鎖)。その学校の卒業生3名が、「三人それぞれに繁昌して、いつか一つの大きな会社にしよう」という思いを込めて、それぞれが天津・上海・漢口(現在の武漢)に『三昌洋行』を設立しました。残念ながら上海と漢口の三昌洋行はほどなく閉鎖に追い込まれてしまいましたが、天津の三昌洋行は中国産品(主に雑穀類と綿花)の日本向け輸出や住友製品の華北地区での販売で大いに売上を伸ばし、当時の天津では「三井、三菱、三昌、大倉」と並び称されていたそうです。その三昌洋行のNo.2であった高橋眞美(私の祖父)が暖簾分けをしてもらい、日本の大阪で1941年(昭和16年)に設立した『三昌産業』が当社の直接のルーツになります。
(出典: aoiyu)
おあつ
(出典: likewoundedbird)
両陛下も節電、園遊会は中止 シェア
天皇・皇后両陛下の意向を受け、宮内庁は計画停電に協力するため、両陛下のお住まいでも自主的に電気の使用を停止するなど、節電対策を決めました。さらに来月予定されていた「春の園遊会」は中止が決定しました。 宮内庁によりますと皇居のある東京・千代田区は今のところ計画停電の対象になっていませんが、両陛下は「さまざまな困難を人々と共に分かち合いたい」との考えで、節電のため自主的に宮殿を閉鎖するとともに、両陛下のお住まいである御所でも、一時、電気の使用を停止させるということです。 また、来月予定されていた「春の園遊会」の中止も決定しました。 両陛下は地震発生直後からニュース報道を見続けており、甚大な被害に深く心を痛めている様子で、皇居外へのお出かけも控えていますが、時期を見極めて被災地の人々をお見舞いしたいとの強い気持ちを持たれているということです。(14日20:39)
天皇・皇后両陛下の意向を受け、宮内庁は計画停電に協力するため、両陛下のお住まいでも自主的に電気の使用を停止するなど、節電対策を決めました。さらに来月予定されていた「春の園遊会」は中止が決定しました。 宮内庁によりますと皇居のある東京・千代田区は今のところ計画停電の対象になっていませんが、両陛下は「さまざまな困難を人々と共に分かち合いたい」との考えで、節電のため自主的に宮殿を閉鎖するとともに、両陛下のお住まいである御所でも、一時、電気の使用を停止させるということです。 また、来月予定されていた「春の園遊会」の中止も決定しました。 両陛下は地震発生直後からニュース報道を見続けており、甚大な被害に深く心を痛めている様子で、皇居外へのお出かけも控えていますが、時期を見極めて被災地の人々をお見舞いしたいとの強い気持ちを持たれているということです。(14日20:39)
大阪駅コンコースに1通の封書が落ちていた。宛名はない。差出人の名だけがある。届けられた曽根崎署の係官が開くと、女性器の微細な模写画が印刷されていた。とんでもない風俗壊乱である。曽根崎署から照会を受けた差出人の管轄署は、男の身辺を洗った。
露骨な性文献数十巻の秘密出版に関係していたことが分かった。トラック3台分のエロ文献、エロ資料が押収された。
昭和32年、あっと好奇を寄せられた〈相対会猥褻事件〉の発端だった。〈相対会〉は、大正2年に東大哲学科の学生・小倉清三郎が主宰した〈性の研究団体〉である。会員相互の性体験を伝え合う冊子「相対会研究報告」を出した。発足当時、約300人の会員誌として頒布された。書店では扱えない。むろん、禁書である。
「相対会第一組合特別会員と恩人」という、密かにつくったリストが残っている。 芥川龍之介、大杉栄、平塚雷鳥、坪内逍遥、吉右衛門、伊藤野枝。
エピソードがある。与謝野鉄幹が〈相対会〉に入会したいと小倉に会いに来た。小倉は訊いた。「あなたは女にどんなことをしたことがありますか」
鉄幹は答えた。「晶子(与謝野晶子)の中にバナナを入れて、翌日それを取り出して食べました」 すると小倉が一蹴した。「なんだ、そんなことは誰でもやっています」
清三郎は、会創設の理念をわずかに語っている。「人間が存在せんためには、人間の生まれ出ることのために交接が必要である」「人間の尊さ、性的生活や交接の尊さをあらためて確認して、卑しい、汚いというヴェールをはぎとって」と願う。
以後、小倉清三郎は妻・ミチヨとともにこの〈研究報告〉の発行を続けた。
※週刊ポスト2011年2月4日号
露骨な性文献数十巻の秘密出版に関係していたことが分かった。トラック3台分のエロ文献、エロ資料が押収された。
昭和32年、あっと好奇を寄せられた〈相対会猥褻事件〉の発端だった。〈相対会〉は、大正2年に東大哲学科の学生・小倉清三郎が主宰した〈性の研究団体〉である。会員相互の性体験を伝え合う冊子「相対会研究報告」を出した。発足当時、約300人の会員誌として頒布された。書店では扱えない。むろん、禁書である。
「相対会第一組合特別会員と恩人」という、密かにつくったリストが残っている。 芥川龍之介、大杉栄、平塚雷鳥、坪内逍遥、吉右衛門、伊藤野枝。
エピソードがある。与謝野鉄幹が〈相対会〉に入会したいと小倉に会いに来た。小倉は訊いた。「あなたは女にどんなことをしたことがありますか」
鉄幹は答えた。「晶子(与謝野晶子)の中にバナナを入れて、翌日それを取り出して食べました」 すると小倉が一蹴した。「なんだ、そんなことは誰でもやっています」
清三郎は、会創設の理念をわずかに語っている。「人間が存在せんためには、人間の生まれ出ることのために交接が必要である」「人間の尊さ、性的生活や交接の尊さをあらためて確認して、卑しい、汚いというヴェールをはぎとって」と願う。
以後、小倉清三郎は妻・ミチヨとともにこの〈研究報告〉の発行を続けた。
※週刊ポスト2011年2月4日号
呉濁流は1900年、台湾・新竹の客家の家庭に生まれた。両親は忙しく、かわいがってくれた祖父から領台当初における抗日の話を聞きながら育つ。台北師範学校を卒業、公学校の教員として教壇に立つが、もともと一本気な性格、いばりちらす日本人とあちこちで衝突して左遷が繰り返され、二十年勤め上げたあげくに辞めてしまう。すでに戦争が始まっていた。知人のつてで大陸に渡り、汪兆銘政権下の南京で新聞記者となる。ようやくやって来た憧れの祖国であるが、言葉が通じない。その上、大陸では台湾人は日本人のスパイと疑われるため出身地は隠せと忠告され、他方で日本人からも信用されないという難しい立場であった。東亜同文書院出身で日本、汪政権、重慶政権それぞれと連絡を持ち、それがばれて日本の憲兵によって殺害された彭盛木とも会っている。
斎藤 重保 10年6月2日(着任は11日)
~11年1月16日
(着任時37歳 東京帝大卒)
退職し、中国漢口東亜同文書院へ
~11年1月16日
(着任時37歳 東京帝大卒)
退職し、中国漢口東亜同文書院へ
湧島は明治三十年に鳥取の洋服商の長男として生まれ、『我等』同人を経て、大正五年に上海の東亜同文書院に入り、翌年中退して上京する。また東京外語学校の夜間部でロシア語を学び、長与善郎の書生になったことから、『白樺』の編集に参加し、九年には叢文閣に入社している。
戦前の志智の論文をいっこ見つけた(゚∀゚ ) ・志智嘉九郎「文藝雑談」『藝文雑誌』二巻一期四(1944) 華文雑誌とのこと。『東洋史研究文獻類目』による。 ところで、このまえ『中国紳士録』でみつけた人物が、出身地、年代、名前から志智嘉九郎の兄弟ではないかと 志智新八郎
神戸海上火災保険(株)上海出張所長(出生)明39.12兵庫県 本籍 同県津名郡郡家町 学歴 昭四同文書院卒 経歴 昭11.7入社
ぐぐったら、東亜同文書院の25期だとある。 あと、兵庫県関係著作者名簿 / 兵庫県立図書館調査相談課. — 兵庫県立図書館, 1984.12 でみつけたこの人も。 志智双六(しち・そうろく)
1) 〃 2)明35.8.27(津名郡一宮町)昭58.2.24没 4)(大阪産業大学教授) 5)艶福上人と一夜妻、新しい英文解釈法
で、こーいった基礎的な情報が伊藤先生のエッセイにはぜんぜんないのだ(´・ω・`) メモ:昭和28年10月 「半どんの会」、機関誌「半どん」を発行
神戸海上火災保険(株)上海出張所長(出生)明39.12兵庫県 本籍 同県津名郡郡家町 学歴 昭四同文書院卒 経歴 昭11.7入社
ぐぐったら、東亜同文書院の25期だとある。 あと、兵庫県関係著作者名簿 / 兵庫県立図書館調査相談課. — 兵庫県立図書館, 1984.12 でみつけたこの人も。 志智双六(しち・そうろく)
1) 〃 2)明35.8.27(津名郡一宮町)昭58.2.24没 4)(大阪産業大学教授) 5)艶福上人と一夜妻、新しい英文解釈法
で、こーいった基礎的な情報が伊藤先生のエッセイにはぜんぜんないのだ(´・ω・`) メモ:昭和28年10月 「半どんの会」、機関誌「半どん」を発行
湧島は明治三十年に鳥取の洋服商の長男として生まれ、『我等』同人を経て、大正五年に上海の東亜同文書院に入り、翌年中退して上京する。また東京外語学校の夜間部でロシア語を学び、長与善郎の書生になったことから、『白樺』の編集に参加し、九年には叢文閣に入社している。




